2021.10.30
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SARAXJIJIへの想い
「SARAXJIJI 10th floor」
日本にいるのに、日本にいないみたい。
パリのアパルトメントに滞在しているような、非日常なようでいて懐かしくとても落ち着く場所。
小さなキッチンには使い込まれた道具や器、色々な種類のお茶など、滞在する人とのひと時を心地よくしてくれる準備が整っている。
窓辺に置かれた大きなテーブルや椅子、棚、小物たち。ソファーサイドに山積みにされた図書。
そのどれもがSARAXJIJIと過ごした時間を誇らしく思っているかのように、使い込まれた艶と共に確かな存在感を放っていた。
身に纏う「日常の道具」としての衣服。
ずっと探し求めていた答えが、ふと目の前に現れた気がした。
着る人の事を一番に考えて、誠実につくられたもの。
SARAXJIJIの衣服に手を触れると、ふわっとした感触と共に、安堵の気持ちが押し寄せてくる。
綿から糸へ、糸から布へ、布から衣服へ、沢山の人の手を介しながら、日本中を旅してここまでたどり着いてきた。
どうしてその形になったのか、デザイナーの野田さんは一つ一つ丁寧に教えてくれた。
あたり前のことだけれど、ものにはきちんとそうなった理由があって、そこに至るまでに沢山のトライ&エラーがあったこと。
根底には「あの人のために」という人間的な温かな想いがあったこと。
並大抵では叶わない完成までの道のりに想いを馳せると、尊い気持ちで胸が一杯になります。
*
衣服について考えるとき、祖母の姿が浮かんできます。
大人になるまでの大半の時間を祖母の部屋で過ごした記憶。
洋裁をしていた祖母は小さな金製の裁縫箱をいつも傍らに置き、暇さえあれば縫物をしていました。
肘あてを付けたり、ポケットを付けたり、その時々の必要に合わせて変わっていく衣服たち。
私はその横で、引き出しに収まっている布をあれこれと物色したり、集められたボタンを並べたり、ビーズを繋いだりして遊んでいました。
冬が近づくと、毛糸玉をつくる機械で糸をほどいてはまとめ直す作業が待っています。
手でくるくると回しながら玉がだんだんと膨らんでゆく様を眺めるのはとても面白く楽しいものです。
無いものはつくる、破れたらなおす、合わなくなったらほどいてはつくり変えるを繰り返し、
いよいよ使えなくなった時には10cm角の布切れにして油拭きに使う。
布片と糸から始まって、最後はまた布片になり、役目を終える。
祖母の手から生み出される衣服たちは、まさに「日常の道具」であったと思います。
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建物も衣服も、供給過多であることが間違いではない今。
だからこそ、流行りに捉われない選択をしたいし、
手にしたものは長く大切に使っていきたい。
SARAXJIJIの服は、季節が巡り、一年経ち、二年経ち、十年が経ったとしても、
手で触れ、袖を通すたびに、懐かしい喜びに満たされる自分を思い描くことが出来る。
ボタンが欠けてしまったら、「送る~!」と、くしゃりと笑って応えてくれるのだ。
素のままを受け入れてくれる、おおらかな衣服とつくり手の事を沢山の方に知って欲しい。
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